ありんこクラブについて

保育理念・方針

「仲間とつながりながら、共に成長し、生きる力を」

 

  • 自己肯定感をもち、仲間・自然・命を愛せる思いやりとやさしさをみにつけた子
  • 元気いっぱいに遊び、健康で体力のあるたくましい子
  • 遊びや生活に意欲や見通しを持ち、最後までがんばりぬき、ものごとを作りだす喜びが持てる子
  • 自分の意見を表明でき、正しいことを行える子

ありんこクラブ運営方針

  • 家庭的な雰囲気の中で、放課後の児童の安全を守りながら健全な育成を目指します。
  • 子どもたちが帰ってきた時にほっとでき、安心してすごせる居場所作りに心を注ぎます。
  • 子どもたちが作る異年齢集団の中での子ども同士の育ち合いを応援していきます。
  • 保護者との連携を密にし、保護者が安心して預けられる学童保育所を目指します。
  • 地域の人々に理解され、地域に根ざした場所になるよう努めます。

ありんこクラブの特徴

  • 緑いっぱいの公園(弁天公園、赤坂公園、茶屋が坂公園)に近く、外遊びがたくさんできます。
  • 庭にも畑や花壇があり、土と触れ合うことができます。
  • 少人数でアットホームな雰囲気です。子どもたちはみんな仲良し、兄弟のように過ごします。
  • 毎日手作りおやつが出ます。長期休暇の昼食は、みんなで食事作り!
  • コマ、一輪車、やっとこ、お手玉、裁縫ができるようになります 高学年のトーチトワリングは感動! 火起こし、カレー作りもお手の物です。
  • 卒所旅行では、自分たちで目的地を決め、交通機関を調べたり、宿泊場所を予約したりします。

ありんこクラブの歴史

1978年 (昭和53年) 千種区唯一の学童保育、帝王ゼミ学童保育所(児童館内児童クラブ)の児童数が増えたため、当時の父母が上野学区に学童保育を作ろうと運動が始まりました。

同年3月27日、赤坂町2丁目のビルの一室で、上野学童保育ありんこクラブが誕生(児童数21名)
1979年 (昭和54年) 上野4丁目に移転(児童数36名)
1980年 (昭和55年) ありんこ第二クラブが誕生(児童数計70名)
1981年 (昭和56年) 児童数が合計100名に増え、同年3月にありんこ第三クラブが下方町に誕生。施設が狭く、父母と指導員で移転先を探し、翌年第三クラブは赤坂町4丁目に移転
1984年 (昭和59年) このころ、ありんこ第二クラブが閉所
1986年 (昭和61年) 親子キャンプで子どもたちが丸太小屋を建て、テレビで放映
1999年 (平成11年) 名古屋市で最初のトワイライトスクールが上野小学校で始まり、その影響もあってありんこ第一クラブと第三クラブが合併し、第三クラブの場所(赤坂町4丁目)1ヶ所になる
2002年 (平成14年) ありんこ存続の危機(児童数13名)
2005年 (平成17年) 高見学童、大和学童と合同雇用委員会を発足
2008年 (平成20年) 合同雇用委員会から大和学童が脱退、宮根学童と千代田橋学童が加入する
2009年 (平成21年) 27年間お世話になった赤坂町4丁目から月ヶ丘2丁目に移転
2011年 (平成23年) 月ヶ丘から赤坂町1丁目のマンションに移転
2013年 (平成25年) 赤坂町1丁目のマンションから赤坂町4丁目に移転
2021年 (令和3年) 12月27日に現在の天満通1丁目に移転

名前の由来

「ちっちゃくたって、まっ黒けになるくらい、外で元気に遊ぼう!」という願いを込めて、初代指導員、勢力さんが「ありんこクラブ」と命名しました。