働く父母の願いから生まれた学童保育
学童保育は共働き家庭が増えている昨今、どうしても必要な施設です。子どもを見守ってくれる専任の指導員がいて、子ども達が放課後安心して帰って来られる『第二の家』です。
国でも児童福祉法の改正に基づいて「留守家庭児童には、特別の援助が必要」で「学童保育をさらに整備充実するよう、市町村は努力義務がある」と言っています。また「適切な遊び及び生活の場を与え」「児童館のほか、保育所や学校の余裕室、団地の集会室などの社会資源を活用して実施」し「利用者のニーズ」を聞き「事業の趣旨、内容、実施場所等について広報誌等を通じて地域住民に対する周知に万全を期す」ことが求められています。そして「衛生及び安全が確保された設備(遊具、図書及びロッカー等)を備え」「指導員の計画的な研修を実施すること」として指針しています。
学童保育は働く母親の増加、家族構造の変化(核家族化)、地域環境の破壊などを背景にしながら、保育所づくりの運動の発展の中で生まれてきました。 子どもには放課後も安全で健康な生活を送ってほしい。安心して働き続けたい。そんな父母達が集まり、願いを実現するために学童保育をつくりました。
その後50数年のねばり強い努力の結果、運動の輪は全国に広がり、現在では全国の市町村区で当たり前のように、希望するほとんどの人が学童保育を利用できるまでになりました。
1998年4月から学童保育は、「放課後児童健全育成事業」という名前で児童福祉法に明記、施行され、第2種社会福祉事業にも認定されました。しかし、名古屋市の施策は「留守家庭児童健全育成事業」という補助事業のままです。(下記表参照)
1 | 東京都全区、小金井市、大阪寝屋川市など、「公立公営」による運営 |
2 | 自治体から「補助金」を受け「民間委託事業」として運営(ありんこはこのタイプ) |
3 | 自治体から何の補助も受けられない「共同保育」として運営 |
名古屋市の学童保育の運動は、1964年頃から始まりました。「場所なし」「金なし」「指導員なし」の”三重苦”を抱えながら、父母の協力によって 運動が始められました。 1971年に取り組んだ請願著名の結果、72年10月より「留守家庭児童育成会運営助成要綱(以下「助成要綱」と略す)」が実施されました。「助成要綱」 の実施によって運動は広がり、当時(72年11月)助成金を受けた学童保育が11ヶ所であったのが、今では176ヶ所(99年)となりました。千種区内で は14ヶ所あります。
’75年には「留守家庭児童専用室設置要綱」が実施され、自分達で学童保育に必要な土地を確保して申請すれば、「プレハブの保育室」を貸すという制度もできました。
民間運営の学童保育の他、「助成要綱」の実施とともに児童館においても「留守家庭児童育成クラブ」が実施されることとなり、現在市内16ヶ所の児童館で実施されています。